1200年の時を経て、空海密教の神髄を伝える
国宝・高雄曼荼羅 修理後一般初公開!!
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)のうち金剛界・胎蔵界
平安時代(9世紀) 京都・神護寺 (展示期間 金剛界:5月14日~6月9日、胎蔵界:4月13日~5月12日)
空海が制作に関わった現存唯一の両界曼荼羅
赤紫色の綾地に金銀泥で画かれた現存最古の両界曼荼羅で、高雄山神護寺に伝わることから「高雄曼荼羅」の名で広く知られている。空海が中国・唐で師匠の恵果から授けられた曼荼羅の図様をもとに、淳和天皇の御願により天長年間(824~833)に描かれたと考えられており、空海自身が直接制作に関わった現存唯一の両界曼荼羅として比類なき価値をもつ。花鳥円文をあしらう綾地の巨大な画面に、金銀の流麗な線描で描き出される諸尊の端正な尊容が浮かび上がる様は、まさに日本仏教絵画史上の最高傑作と呼ぶにふさわしい。
1793年、光格天皇の勅願で行なわれた修理以来約230年ぶりに、2016年から6年間にわたって行われた修理事業後、本展は初めての一般公開の機会となる。
展示構成
第1章
密教とは ― 空海の伝えたマンダラ世界
空海は、「密教は奥深く文筆で表し尽くすことが難しい。そこで図や絵を使って悟らない者に開き示すのだ」と述べました。本章では、密教世界の中心である大日如来とそれを取り囲む仏たち、胎蔵界・金剛界という2つのマンダラの世界を、立体的な空間で展示します。
5軀が揃って伝わる最古の五智如来像
国宝 五智如来坐像
平安時代(9世紀) 京都・安祥寺
第2章
密教の源流 ― 陸と海のシルクロード
密教は仏教発祥の地・インドにおいて誕生しました。その根本経典とされるのが『大日経』と『金剛頂経』です。『大日経』は、陸路を通って唐に入ったインド僧、善無畏により漢訳され、『金剛頂経』は、海路を経て唐に入ったインド出身の金剛智によってもたらされました。
インドネシアに密教が伝わっていた!
金剛界曼荼羅彫像群(ガンジュク出土)のうち四面毘盧遮那如来
東部ジャワ期(10世紀) インドネシア国立中央博物館
第3章
空海入唐 ― 恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合
讃岐国に生まれた空海は、山林などでの修行を経た後、遣唐使の一員として学ぶ機会を得て唐に渡りました。そして、長安で密教の師、恵果阿闍梨と運命的な出会いを果たします。
空海が唐から持ち帰ったと伝わる、
唐代美術の傑作
国宝 諸尊仏龕
中国・唐(7~8世紀) 和歌山・金剛峯寺
荒れ狂う海を越え、遣唐使船に乗って
唐に向かう空海
重要文化財 弘法大師行状絵詞 巻第三[部分]
南北朝時代 康応元年(1389) 京都・教王護国寺(東寺)
(展示期間:5月14日~6月9日)
唐の技術力の高さを示す華やかな造り
国宝 錫杖頭
中国・唐(9世紀) 香川・善通寺
中国密教の大成者である不空から恵果、
空海へと伝えられ、空海が唐から持ち
帰ったと考えられる法具
国宝 金銅密教法具
中国・唐(9世紀) 京都・教王護国寺(東寺)
長安で密教を学んだ空海も
見たかもしれない?
一級文物 文殊菩薩坐像
中国・唐(8世紀) 中国・西安碑林博物館
第4章
神護寺と東寺 ― 密教流布と護国
帰国した空海は、神護寺を拠点に密教の流布を行い、多くの僧侶たちが密教を学ぶようになりました。また朝廷の信頼を得た空海は、平安京の東寺を任され、密教による護国の役割も期待されていきました。
金剛界
胎蔵界
国宝 両界曼荼羅(西院曼荼羅〈伝真言院曼荼羅〉)
平安時代(9世紀) 京都・教王護国寺(東寺) (展示期間:4月13日~5月12日)
空海の自筆、最澄らの名も
記された重要な史料
国宝 灌頂歴名[部分]
平安時代 弘仁3~4年(812~813) 京都・神護寺
展示期間が変更になりました。
4月13日(土)~4月29日(月・祝)までとなります。
空海の執筆活動の息づかいを
感じられる書き込みも
国宝 金剛般若経開題残巻[部分]
平安時代(9世紀) 奈良国立博物館 (展示期間:4月13日~5月12日)
第5章
金剛峯寺と弘法大師信仰
仏教界において、重要な役割を担うようになっていった空海。その一方で自然の中で心静かに修行し、瞑想したいという望みを持ち続けていました。やがて朝廷の許可を得て、理想の地において金剛峯寺の建立に着手します。